イエス・キリストの死の真相と、ヨーロッパに受け継がれたキリストの血統に関する衝撃的なストーリーを描いた冒険推理小説「ダ・ヴインチ・コード」(2003年)が売れに売れまくり、トム・ハンクス主演で映画にもなった。
その描かれた内容に宗教団体が反発するという事態までひきおこし、それがさらに注目される結果を生んで、世界中で公称5000万部を売る超ベストセラーとなった。
日本でも2004年に刊行され、公称売り上げ1000万部を越えている。
ダ・ヴインチコードと名のついた書籍があふれた
出版界では、柳の木の下にドジョウが6匹いるという不文律があるらしく(?)、たちまち書屈にダ・ヴインチコードと名のついた書籍があふれた。
レオナルド・ダ・ヴインチ展は長蛇の列で大盛況。まさに、著者のダン・ブラウン様々だった。
そのブラウンは、「この小説における芸術作品、建築物、文書、秘密儀式に関する記述は、すべて事実に基づいている」と記した。それがやがて、激しい論争を巻き起こした。
「どこまで本当のことが書いてあるのか」
「歴史的記述に誤りがみられる」
「意図的に、キリスト教やその信者を攻撃している」
「資料が勝手に引用されている」だが、キリスト教のタブーに挑戦した本書は、揺るがなかった。
その後もまだ、解明されていないキリスト教の謎があると、解説本や謎解き本、あるいはダ・ヴインチ・コードの真相や真実、と銘打った便乗本がつぎつぎと発刊されている。
しかし実は、本書の核となるキリストの血脈や聖杯の秘密を今日まで守り伝えてきたという、日世紀に起源を持つといわれる「シオン修道会」なる秘密結社の伝統を伝えた「秘密文書」が、最後の総長を自称していたピエール・フランタールの担造だったという事実が、本人の告白により1993年に判明している。
彼とその友人フィリップ・ド・シェリセイによって偽造された「秘密文書」は、1964年から釘年にかけ、パリの国立図書館に、彼ら自身の手によって匿名で寄贈され、そのまま登録、保存された。だから、この本の中身は作り話だ、などいう批判も飛び出した。
ダ・ヴインチ・コードがウソかと論争すること自体、愚の骨頂
だがこれは、もともとノンフィクションではないし、仮想ドキュメントでもない。所詮小説。つまり、フィクションであり娯楽作品なのだ。多少のこじつけや誇張があってしかり。その内容が、本当か、ウソかと論争すること自体、愚の骨頂だと筆者は考える。「ダ・ヴインチ・コード」は、実在した人物や実在する古文書の名をたくみに取り入れたりといった構成がうまかったことも手伝い、あまりにも売れて話題になったので、みなこれが現実にあった話だ、と錯覚を起こしてしまったのだ。
さらにいうと人間というのは心の奥底に、反発、嫉み、羨望感を秘めている。何かの拍子にそれが顕になる。売れすぎた小説「ダ・ヴインチ・コード」は、それに火をつけてしまった。
小説「ダ・ヴインチ・コード」は、まさにその典型だったのではあるまいか。ところで最近、映画監督のジェームス・キャメロンが、キリストの墓を発見したというニュースが流れた。
今年(2007年)2月初日、キャメロン監督らは、ニューヨークで記者会見し、キリストの墓をめぐる新たなドキュメンタリー映画について発表。聖地エルサレムの教会関係者からは会見を前に、反発の声が上がったという。この墓は1980年にイスラエル、エルサレム旧市街から南に数キロ離れたタルピオットで発見された。そこに凶体分の石灰岩の骨壷があり、そこにはイエス、マリア、マタイ、ヨゼフ、マグダラのマリアという名前がアラム語で書かれていた。
そして、6番目の名前として、「イエスの息子、ユダ」と刻まれていたという。
本当なら、イエスとマグダラのマリアの聞に、ユダという息子守かいたことになる。さらにイエス、マグダラのマリア、ユダと名づけられた遺体の親子関係が、DNA鑑定でも裏づけられたとし、これがイエスとその家族のものである可能性は非常に高いと主張したのだ。
ダ・ヴインチ・コードの疑問点
この調査の模様は、2007年3月4日にデイスカパリーチャンネンルで、ドキュメンタリーとして放映されたようだが、あまり話題にならなかった。どうもこの世紀の発見ヘ公式には認められてはいないようだ。今回の発表に関して、疑問がいくつか提示されている。
「古代アラム語がちゃんと翻訳されているのか?」
「イエスもマリアもユダも、当時にしたら、ありふれた名前だった」
「墓と骨が本当にイエス・キリスト本人だという証明はどこにあるのか」
結局、次回作のネタの前振りではないのか、と噂される始末。
ちなみに、カトリックや東方正教会の通説では、旧市街にある聖墳墓教会がキリストの墓の所在地とされている。
プランタlルらが遊びで始めたともいわれる「シオン修道会」の話は、担世紀に入った現在も、さまざまな都市伝説を生んでいる。