第l次世界大戦時、多くの人々が「奇跡」を信じた。その奇跡というのは、1914年8月、ベルギーのモンスで、イギリス軍がドイツ軍(プロシア軍)と遭遇したときに起きた天使出現の奇跡話で、「モンスの天使」として語り継がれている。
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「モンスの天使」は作り話?
作家のアーサー・マッケンは、この「モンスの天使」は、作り話だといい、彼が書いた「叶宮切。25ロ(邦題『弓兵・戦争伝説」」という短編が、出所だと主張した。
その短篇のくだりはこうだ。
「一団のイギリス兵が前線で孤立し、ドイツ軍に包囲されていた。進退きわまった彼らには、もはや守護聖人である聖ジョージに祈る以外しか道は残されていなかった。そのとき、閃光とともに弓兵が出現し、ドイツ兵に向けて次々に矢を放ちはじめた。数千人ものドイツ兵が倒されたが、不思議なことに彼らの体には何も傷が残っていなかった。この弓兵の活躍により流れが変わり、イギリス軍はモンスから無事に退却することができたのである」
この話に関するさまざまな伝説が語られるようになったのは1915年の春以降で、そこから都市伝説として独自の発展を遂げてしまったとマッケンはいい、モンスの戦いについては、新聞記事からインスピレーションを得たという。
当時の新聞は軍部によって厳しく検閲されており、モンスの敗戦についても、不利な状況から「奇跡的に」退却することができたと仰々しく書き立てていた。
マッケンはモンスの敗戦についての記事を読んだあと教会に行き、そこで「弓兵・戦争伝説」の物語を思いついたという。
「モンスの天使」はマッケンの想像の産物だったのか?
では、天使の話は、ほんとうにマッケンの想像の産物だったのか?
歴史家のA・J・P-テイラーは、1963年に発表した著作中で、コモンスの戦いは第1次世界大戦において、超自然的な干渉があった唯一の戦闘である」と述べている。
実は、マッケンの主張の反論となる資料がある。
それは、ジョン・チャタリス旅団長が妻に宛てた1914年9月5日付の手紙だ。これはアーサー・マッケンの短篇よりも、2週間も早く書かれたものである。
マッケンの主張の反論となる資料について
1931年に出版された『総司令部にて」に、1914年から1918年にかけて、チャタリスが戦場から書き送った1200通の手紙が収められている。
第1次世界大戦が始まると、チャタリスはイギリス旅団の情報将校としてフランスに渡った。
そこでダグラス・へイグ将軍と知己を得て、総司令部の情報部長に抜擢される。
彼が「モンスの天使」についての情報を得るのは、この時期である。
これが真実なら、マッケンの、「モンスの天使は自分の著作を出所とする」という主張は覆されるととになる。
「モンスの天使」が実話だとする主張が、別にある。モンスで致命傷を負った兵士たちを世話した看護婦アイリス・キャンベルの証言だ。
彼女は、死にゆく兵士たちから天使の目撃談を聞いたといい、「モンスの天使」が作り話とされているのは政府の陰謀で、天使を目撃した兵士の名前が明らかにされないのも、政府による隠蔽工作だとさえ主張している。
モンスの天使事件は、都市伝説色濃厚とはいえ、ナゾも残る。そして、さらなる尾鰭が付いてまわる。
モンスの天使にまつわるさらなるエピソード
2000年秋。イギリスの超常現象研究家で雑誌「レイハンター」の編集長だったダニー・サリパンは、ウェールズ州モンマウスにある「ボニータ骨董品店」で、第l次世界大戦に関する大量の資料を見つけた。
それはフィルム缶や手紙や日記などである。その中に1914年の「モンスの戦い」に参戦し、土地の女性マリーと恋に落ちたウィリアム・ディジーという軍人の手紙を見つけた。
手紙には、ディジーが戦争が終わったあと、「モンスの天使」の探求に生涯を費やしたと記されてあった。ディジーは、「モンスの天使」を探し当てることができれば、戦争中に離れ離れになったマリーと再会できると信じていたのである。
サリパンは、ディジlの天使探求が1952年に成就したと綴られた手紙を発見。
さらには、その天使探求の成就には、「ダグ」と称するアメリカの退役軍人からの手紙が大きく関わっていることもわかった。
手紙には、退役軍人「ダグ」自身の天使体験がつづられていた。
ダグの記述では、ノルマンディー上陸作戦のころ、アメリカとカナダの軍隊はイギリスのウッドチェスター・パークで演習を行なっていた。
そこには、ゴシック様式の屋敷があり、その敷地内でダグは「幽霊」を目撃。
その次の日、湖に架けられていた船橋が壊れ、加入の兵士が亡くなったという。この話を知ったディジーは、ウッドチェスターパークで夜を明かし、「死の天使」の出現を待つようになったのである。
サリパンは、資料の中から「墓石の前に浮かぶ天使の姿」を映し出した白黒写真を発見した。
その写真には、「1950Eベネット」と記されていた。これは、ディジーが映した、ウッドチェスターに出現した天使ではないか、とサリパンは思った。
フィルム缶の中にはもっとすごいものがあった。
それは、天使の姿を捉えた実写フィルムだった!天使の写真や関連資料、そして実写フィルムを発見したサリパンは、「天使」に関するホームページをたちあげ、ディジーを、グイギリスのインディアナ・ジョーンズと名づけ、その逸話を紹介した。
そこでは1952年に起こったウッドチェスター事件と「モンスの天使」を関連wつけた主張と、さらには天使の姿が捉えられた白黒フィルムは「ボニータ骨董品庖」で購入した資料の中から、偶然、発見されたものであることも明らかにした。
このホームページを見たハリウッドの映画監督トニー・ケイは、フィルムを購入し、マーロン・ブランド主演の映画制作に乗り出すと発表。天使に関する都市伝説に、それなりの信葱性を見いだしたかららしい。
2001年3月、映画化に関するニュースが『サンデー・タイムズ」紙に掲載された。
「ブランド、モンスの天使に触発される」というタイトルの記事によれば、トニー・ケイ監督とマーロン・ブランドが、天使の姿を映した白黒フィルムを印万ポンドで買い取ったという。
一方、『サン」紙は、マーロン・ブランドが「謎の人物を演じてみたい」と言っていること。
また「ディジーのフィルムを映画のクライマックスで使うつもりだ」それは背筋がぞくぞくするような場面になることだろう。
なにしろ、このフィルムで天使の実在が証明されたようなものなのだから」と、トニー・ケイが語ったことを報じた。
モンスの天使の真相
2002年、「BBCウェールズ」が制作したラジオドキュメンタリー番組「都市伝説の創作」で、真実が明らかにされた。
同番組で、サリパンは、突如、フィルムの話が提造、だと話し始めたのだ。
「私はボニータ骨董品庖では何も買っていない。行ったことは何度もあるけど、買ったことはないんだ」
サリパンの豹変ぶりに、周囲の人たちも驚いた。
について、「ボニータ骨董品庖」の店主ジョン・リード・スミスは、BBCの取材で、次のように語った。
「ダニー・サリパンが庖を訪れて、何本かのフィルムや書類を買ったとき、たくさんの手紙がくくりつけられたフィルム缶が含まれていました。その上には『天使』という文字が書かれていたと記憶しています」なぜ、サリパンがフィルムの存在を否定したのか、謎につつまれている。