件とかいて「くだん」と読む。
件(くだん)とは
件とは、半人半牛の姿をした怪物で、江戸時代から妖怪として知られている。
伝承では、牛から生まれ、人間の言葉を話すとされている。
生まかんばつれて数日で死ぬが、その間に作物の豊凶や流行病、早越、戦争など、重大な事象に関して予言をする。
そしてまさしくそれは的中する。また件の絵姿は厄除招福の護符にもなるという。
別の伝承では、歴史に残る大凶事の前兆として生まれ、数々の予言をし、凶事が終われば死ぬ、とされる。
また、雄の件の予言は必ず当たるが、雌の件、がその予言の回避方法を教えてくれるなどの異説もある。
件(くだん)の歴史
幕末に入ると、件は突如出現するとする説に代わって人聞が飼っている牛が産んだとする説が広まりはじめた。
はくせい明治時代から昭和初期にかけては、件の剥製と称するものが見世物小屋などで公開された。
小泉八雲が、『伯書から隠岐へ』の中で、件の見世物をする旅芸人について書き残している。
昭和に入ると、件の絵に御利益があるという説は後退し、災害に関する予言をする面が強調されるようになった。
戦争や幻想文学研究家で編集者の東ふたつある、と指摘する。ひとつは、文政ー天保から幕末になる時期雅夫氏は、件の出現にはピーク。
もうひとつが、昭和初期から終戦にいたる時期(1926ー1945年)いずれも、経済危機や社会不安が増大し、蔓延した時代である。
件(くだん)から牛女へ
そして、このふたつめのピークである大戦末期から戦後の復興期、件は、それまでの人面牛身に代わって、牛面人身で和服を着た女の姿になっていく。
件は、牛女に変わるのだ。理由はわからない。しかも牛女の伝承は、ほぼ西宮市の六甲山近辺に限定される。空襲の焼け跡で着物姿の牛女が動物の死骸を食っていた、とか。座敷牢に牛頭の娘が幽閉されていたという噂が流れた。
小松左京はこれらの噂に取材して、小説『くだんのはは」を執筆したともいわれているが、定かではない。
件(くだん)=牛女なのか?
件と牛女は、どう考えても同一物ではない。
件は牛から生まれるが、牛女は人聞から生まれる。
件は人面牛身、牛女は牛面人身。
件は人語を話し予言をするなど知性があるが、牛女は口を聞かないと、まったく正反対なのだ。
実話系怪談のヒット作『新耳袋」の著者のひとりである木原浩勝氏は、「件」と「牛女」は区別すべきだと主張しているが、それも一理あるかもしれない。時代の変節とともに、伝承自体も変質した、という見方もあるが、件と牛女は、別物と捉えたほうがわかりやすい。
牛女の目撃情報
牛女が最近再び神戸のとある神社で集中して目撃されているという。
目撃されている牛女は、体が着物を着た人間の女で、頭が牛だという。
「しかし、頭が牛じゃ普段でも目立って困るんじゃないか」
「それが、そいつが突然現れるんだってさ、その神社に行くとこの牛女がのそっと立っていて、くるりとこちらを振り返るらしい」「それは、初耳だったね」「ナミキさんは、こいつの正体は何だと思う」
筆者は早速、これは不況や社会不安が蔓延している中で、庶民(筆者もそのひとりだが)の不満や精神的不安の気持ちがそういった怪物の姿を生み出しているのだ、というような説明をしてやった。
「つまりなに?これは幻覚っていうか、人の妄想ってわけ?」
「まあ、そうなるね。人聞はつらい事が続くと、心にがもうひとつの現実の扉が聞くことがあるんだよ」
「なんだか分からない話になって来たな。それもあんたの妄想だろ。まあいいや、専門家の意見として記事に書かせてね」
「牛女が出るっていうんで、その神社には夜ごとに野次馬が集しばらくしてまるようになって来て、近所から苦情も出るしで、神社も困っちやったらしいんだ。それで、神社側はどうしたと思う?なんと『牛女は当神社から引っ越しました」って書いた張り紙を出したんだって。そうしたら、それからばたつと夜の野次馬は来なくなったらしいよ」
こいつとケラケラと笑った。