「メリーさんの館」はどこにあるのか
稲川淳二が 『すごーく恐い話』で紹介して以来、誰もが知るようになった都市伝説である。
しかし、話の中心にな っている「メリーさんの館」がどこにあるのかは、いまだに謎のままである。
洋館を見つけようと、興昧を持った人たちが探索を続けているが、 今のところ成功したという人はいない。
「あのあたりにある」というところまでは、多くの人がたどりついているのだが、これこそが 「メリーさんの館」だという洋館にはたどりつけていないのである。
その洋館にはたくさんの外国人の子供が、誰かが訪ねてくるのを、いや、道に迷って訪ねてくるのを待ちかまえているという。
「メリーさんの館」の話
話の流れは以下のようなものだ。
ある霧の深い目、兵庫県六甲山の山中で、 A氏は道に迷った。
霧でどこをどう走ったのか、まったくわからなくなったのである。
やや不安になったとき、霧、が少し薄らいだ。
その薄らいだ霧の先に白い外壁の洋館、が現れたのである。
A氏は助手席のB君を見た。B君もおびえているようだった。
A氏は場所を裏六甲から再度山あたりと想定した。
A氏は、車を洋館の門の前に止めると、B君に助手席に残るよう言って、門をくぐって洋館の玄関に向かった。
中に入ると、光がさしているわけでもないのに白く明るかった。正面に2階へ上る階段があった。
階段を上り、2階正面の部屋に入ると、やはりこの部屋も異様なまでに明るかった。
入ったとたん、ドアがひとりでに閉じた。おぞけドアの閉じるものすごい音に、 A氏は怖気をふるった。
そして間をおかずに、どこに隠れていたのか背後から大勢の真っ白な外国人の子供たちにとり固まれ、真っ白な目で一斉に睨みつけられた。
立っていられたのはそこまでだった。極度の緊張で体ががたがたと震えだした。
そして、次第に意識が薄らいでゆき、気を失った。
気がつくと病院のベッドにいた。
後で聞いた話では、外で待っていたB君が、洋館の中庭で意識をなくして倒れているA氏を見つけ、急いで病院に運んだという。
その洋館は、第一次世界大戦中に、ドイツ人の捕虜収容所として使われていた建物であったとの噂である。
「メリーさんの館」を実際に見たという人の証言
実際に洋館を見たという人物のレポートもある。
日年ほど前、ある青年団に所属していたC氏は、再度山山中にキャンプに出かけた。
このキャンプでは恒例になっている夜中の行進がある。
夜中の2時に再度山中腹のテントを出て菊水山方面に向けて集団で行進するのだ。
幅1・5メートルのハイキング道を1時間くらい歩いたころ、左手に小さな洋風の建物を見つけた。庭は厚い樹木に覆われていた。
そのまん中に石レンガ造りの建物が黒々と収まっていた。
「こんな山奥に住んでいる人がいるのか」とC氏は不思議でならなかった。
微弱な赤い光を放つ電球が門柱に備えであって、 闇を一層不思議な光景にしていたのが印象的だった。
そのまま青年団は行進を続けたわけだが、C氏の目には、不思議な洋館の姿が焼きついたのである。